10日間のヴィパッサナー瞑想を終えて

8/9〜8/20にかけて、インド・カルナールでヴィパッサナー瞑想を受けてきました。一個人の体験談としてシェアします。

 

【1日の流れ】
4:00 起床
4:30~6:30 瞑想
6:30~8:00 朝食・休憩
8:00~11:00 瞑想
11:00~13:00 昼食・休憩
13:00~17:00 瞑想
17:00~18:00 軽食・休憩
18:00~19:00 瞑想
19:00~20:30 ビデオ視聴
20:30~21:00 瞑想
21:30 就寝

 

1日目〜3日目
鼻の空気の通る道に意識を集中させる。
この期間が正直一番きつかったです。足が痛すぎて全然集中できない。
集中しようとしてもすぐに雑念が混じってしまう。
この期間はひたすら長時間座ってもいたくならない座り方を研究。
3日目の終わりにやっと心地いい座り方を開発。覚醒しながらも一点に集中し、持続させる感覚にすっと入れるように。これをどんどん深めていくのだな!と思ってた矢先、「はい、この3日は準備期間でした。明日から本格的に始めようね。」って言われ、くじけそうに。

 

4日目~9日目
身体の内側に意識を向ける。頭のてっぺんから足先までパーツごとに意識を移動させながら集中。熱、震え、緊張、弛緩。感覚をそのまま受け止める。何も感じない場合、何か感じるまでしばらくその部分に集中を向け続ける。それをひたすら繰り返していきます。
難易度が1→5に一気に上がった感じ…。今思えば鼻に意識を向けるのは簡単でした。常に息をしてるので、何かしらの感覚を感じやすいから。右の太ももに神経を集中させても感覚が捉えられず、もどかしかったです。
めげずに何度も繰り返すと、感覚が鋭くなり、長い時間集中することができるように。
6日目に膝関節が悟りを開いて以降、身体的苦痛がなくなり、感情も穏やかになっていきました。

 

10日目
社会復帰Day。午前中3時間の瞑想の後、会話、スマホが解禁!
スマホ画面が明るくて目がチカチカする。
日本語を見たら、ゲシュタルト崩壊

最後の日の瞑想では、自分の死と生の感覚を追想して、涙が出ました。
死の瞬間は一体何を感じるのだろう?と想像する。生と死の境目の混濁とした状態。意外と死、それ自体は苦しく、悲しいものではないのかも。死が必要以上にこわいと感じなくなりました。

生の瞬間を感覚としてまるごと思い出そうと試みる。
ああ、自分は愛されて祝福されて生まれてきたのだなあと改めて実感。
この感覚さえ忘れなければ何もこわくない。
わたしは生まれた、そのこと自体に価値がある。
わたしが何も偉い人にならなくたって、自分の人生を思いっきり楽しんでいるだけでもそれだけで素晴らしいことなんだと感じました。

 

 

【10日間を終えて変化したこと】
・思考がクリアになった
ヴィパッサナー瞑想に入る前の思考状態を例えると、いつも頭の中でどうでもいいことをぐちゃぐちゃと入り乱れている状態。でも、日数が経つにつれて余計なノイズがとれて、かなり思考がクリアになりました。
なんだか頭の中が一回リセットされた感覚。
自分の大切にしたい価値観、在り方、目指していく方向性により深く確信をもてるようになりました。
感情的にもどんどん心穏やかに。波の一切立たない水面のような気持ち。

 

・自分の身体感覚に鋭敏になった
瞑想を通じて自分の内側に意識を向け続けていたので、身体感覚が鋭くなりました。食後胃に血液が集まる感覚、腸がもぞもぞと動く感覚、油分・砂糖を過剰に摂取した際にやってくる頭に血が上る感じ、その後の全身の倦怠感、そして腸がこげつくような感覚。添加物を食べた後の身体のパリパリ感。
「私たちは口にしたものでできている」なんて言いますが、口にした食物がここまでダイレクトに身体に影響を与えていることに驚きました。
ずっといままで感じていたのだけれど、日本の生活ではかなり感覚が鈍くなってたわ...。

 

細かくいえば、
顔のむくみがとれて身体が軽くなった、集中力が増した、長時間あぐらをかいても足が痛くなくなった等ありますが。

 

10日間のヴィパッサナー瞑想は、「思考と心のアライメントを図る方法を身につける」という私の目的に適い、大変満足でした。1~3日目は正直めちゃくちゃきつくて、「タイムワープして10日目になってくれ…」と思っていたのですが、日が経つにつれてどんどん足の痛みは和らぎ、感情は穏やかになりました。今はもうちょっとこのまま時を過ごしていたいな...って思ってます。